KATORI Yoshikazu (その3)

今回は、2020年2月第3週、2月第4週の本コラムで取り上げたテーマ（日本人の名前のローマ字表記）を再び取り上げます。

今週は The Economist (June 27th, 2020)から “Pandemic-proofing the planet” を読みました。 waterproof は「防水の」ですよね。これを動詞で使いますと「防水加工をする」「防水処理をする」の意味になります。同じように考えていただいて pandemic-proofing the planet は「地球全体をパンデミックから守る」「地球にパンデミック防止を施す」です。記事のリードにこうあります。

New diseases are inevitable. Ensuing global calamities do not have to be.

【大意】新たな病気の出現は不可避である。しかしそれがもたらす地球規模の災難は必ずしも不可避ではない。（have to be のあとに inevitable が省略されています。）

人が新たな居住地を確保するため、あるいはビジネスにつながる鉱物資源や生物資源をもとめて、これまで立ち入ることのなかった野生生物の生息域に足を踏み入れて野生生物との接点が増えると、新たな感染症のリスクも増えます。2002年の SARS、2005年の H5N1 （鳥インフル）、2015年の MERS (中東呼吸器症候群)。それからもちろん、サルのSIV から変異した HIV （エイズウイルス）も。そんな人獣感染ウイルス研究の第一人者に河岡義弘さんがいます。

In the end, forms of H5N1 that could spread easily from person to person never arose. But they came close. In 2012 Yoshihiro Kawaoka of the University of Wisconsin-Madison and Ron Fouchier of Erasmus University undertook to discover how many mutations would have been required to make H5N1 transmissible between people via the droplets expelled in a sneeze. They found that changes at just five points in the genome would have done the trick. Two of these mutations were later shown to exist already in wild populations of the virus.

【大意】結局、人から人へやすやすと感染する変種 H5N1（鳥インフル）は出現しなかった。しかしあと少しのところまで来ていた。2012年、ウィスコンシン大学マディソン校の河岡義弘とエラスムス大学の Ron Fouchier は、変異がいくつ起きていれば、H5N1 はくしゃみに含まれる飛沫を介して人から人へうつる感染症になっていたかを調べ始めた。そして H5N1 のゲノム（全遺伝情報）のわずか5か所で変異が起きれば、H5N1 はヒトの間で広まる感染症になっていたであろうことを突き止めた。のちに、その5つの変異のうち2つはすでに自然界のウイルスに存在することがわかった。（つまり、あと3つ変異が起これば、想像するのも恐ろしい事態になっていたということです。）

ここで引用されている河岡さんは、15年ほど前にTBS『情熱大陸』でも特集された、この世界の世界的権威です。ご興味あったら以下のサイトをご覧ください。

https://mainichi.jp/articles/20200410/org/00m/200/002000c

現在はウィスコンシン大学のほか東京大学医科学研究所の教授も務めていらっしゃいます。東大医科研は当教室から徒歩15分ほどのところにありますから、ひょっとしたらどこかですれ違ったかもしれません。イケメンです。

ところで私がこのお名前に注目したのはもう一つ理由があります。いわゆる「下の名前」が苗字の前に置かれていることです。2020年2月第3週の本コラムで書いたとおり、The Economist と NHKは今年の初めから日本人の名前を、「公用文等における日本人の姓名のローマ字表記について」（令和元年10月25日　関係府省庁申合せ）にあわせて「姓―名」の順で表記しています。なのになぜ Kawaoka Yoshihiro ではなくて Yoshihiro Kawaoka になってるの、という疑問です。

おそらく単純な理由でしょう。日本人名の表記のチェックがこの記事の中身にまでは及ばなかったのだと思います。もしこの記事が、The Economist の Science & technology セクションではなく、Asia セクションの記事だったら、おそらく校閲者が気付いて Kawaoka Yoshihiro にしたのではないかな。（かつての The Economist には Japan というセクションがあって、日本はAsia 諸国の中で別格の扱いを受けていたのですが、残念ながら近年、その地位は China に奪われてしまいました。）

しかし厄介な話ですね。The Economist の staff writer の中で、そもそも、Kawaoka Yoshihiro と見ただけでどちらが family name でどちらが given name なのか判断できる人がどのくらいいるでしょう。難しいですよね。われわれだって、アングロサクソン系の名前ならまだしも、なじみのない起源の名前だったら見当がつきません。The Economist の表記の決まりとして、初出は敬称なしのフルネーム、2度目からファミリーネームに敬称 (Mr / Ms / Dr) をつけることになっています。今回の記事で河岡さんが登場するのはここ1か所だけなのですが、もし先のほうでもう一度言及するとしたら Dr Kawaoka としたでしょうか、 それとも Dr Yoshihiro としたでしょうか。敬称をつける必要ができたときにはちゃんとチェックして Kawaoka がファミリーネームであることに気づき、ついでに初出の表記も Kawaoka Yoshihiro に改めたでしょうか。仮に河岡さんが例えばアメリカ国籍を取得していたとしたら、日系の名前でも Yoshihiro Kawaoka と表記すべきでしょう。となると、国籍までチェックしないとならない。

8月21日の NHK World は将棋の藤井聡太さんが史上最年少で「二冠」を達成した偉業を伝えています。

Teenage shogi sensation Fujii Sota says he's "overwhelmed" to become the youngest-ever holder of two major professional titles.

【大意】将棋界に旋風を巻き起こしている藤井総太は、史上最年少で「二冠」を達成し「感無量です」と語りました。（【注】藤井さんがテレビ会見で言った「感慨深い」が overwhelmed と英訳されたものと推定できます。）

さすがに NHK では、「フジイ・ソウタ」のどちらが姓でどちらが名かわからないという問題は起こりません。

以上です。